主義主張がない“悲しき雄ライオン”の絶望がこだまする(その2)

今回の連作コラムを書き始めた日は、いわゆる京アニ放火事件の3回忌にあたる日だった。放火犯が絶望感に囚われ、家族からも孤立した果ての蛮行だった。男はひとりでは生きられない。ひとりで生きているつもりでも、実は社会と家族とのつながりがなければ、やがて破滅に至る。もちろん、ごく少数の話。

ここで取り上げた犯人は、自分の中にその影が投影されていると感じさせる。それは“今田勇子”から感じたような気がする。自由とバブルを謳歌している中で、忍び寄る孤独と破滅に向かう絶望を呼び覚ます。しかし、それをいつしか忘れ去り日常に生きる。それが普通の人間なのだが、どうしても例外がいる。

筆者は多少なりとも家族とのつながりはある。親の自宅介護の面倒を多少なりとも見ながら、家業に従事している。そのために会社を辞めたので、社会的なつながりからは切られているといえる。家族は煩わしいが、それを支えるためにもう一度世間に出るかすかな準備をしている。他人を殺める暇なんかない。

安倍元首相を暗殺した男に同情はしない。だが、その行動に「悲しき雄ライオン」を思い起こす。ライオンは群れから追われると死ぬしかない。犯人は人間の群れから存在の全てを切り離されたことで、他者を巻き込んでても死を選び、そのために戦う。その心の叫びがライオンの死への咆哮に聞こえるのだ。

主義主張がない“悲しき雄ライオン”の絶望がこだまする(その1)

安倍晋三元首相が暗殺された事件について、
「民主主義への冒涜」「言論の自由に対する挑戦」
といった、政治や民主主義への挑戦ととらえた主張が報道されたのには辟易した。犯人が旧統一教会について語る報道がなされていたのに関わらずだ。

その昔、NHKで『悲しき雄ライオン』というスペシャル番組を放映していた。群れのボスになるまでに、雌にじっくりと観察され、能力を徹底的に試される。群れを従えるまでは雄の立場はとても弱い。群れのボスになれない限り、雄はサバンナでの生存の保証がない。そして群れから追われても死あるのみ。

ライオンにとっての群れは、人間でいえば家族。このキズナが絶たれたところで、ごく一部の男が凶悪な事件を起こしている。週刊文春7月21日号の124P、125Pにこんな一文が載っていた。
京アニ事件も、大阪のビル放火事件も、実行犯は一人暮らしで、親や妻子との関係も断たれていた。安倍氏を襲った容疑者もおそらくは同じだろう」

「ここではもはや、加害と被害の関係は実行犯にしか了解不能なものになっている。今回の事件でも新興宗教団体にハマった親が破産したこと、元首相の暗殺の間には巨大な飛躍がある。」
その事件を起こすのは、いずれも「自分らしく生きる」という意味でのリベラル社会で世間や家族から孤立した男が引き起こしたのだと(続く)。

安倍元首相。死して闇を残した男。

2022年7月7日。その男は、なぜかむくんで見えた。スーツの中の肉が水膨れしているように見えた。参議院議員選挙公明党の応援を蹴って自民党野単独の公認で候補の応援をするために、マイクを握って話す男はあまり健康そうには見えず、映像の中で実在感をもってその人を見ることができなかった。

2022年7月8日。その男、安倍晋三元首相。奈良県近鉄大和西大寺駅前で応援演説中に、41歳の無職の男に手製の銃で撃たれた。憲政史上最長の首相在任期間を誇った男が凶弾に倒れた。大変なことが起こったが、不思議に驚かなかったのはなぜ? その時、選挙中に亡くなった大平正芳氏を連想した。

大平元首相には闇はない。クリスチャンであり読書家。筆者は総理大臣というとこの人の影を追い求めるが、安倍元首相には闇を見る。何の符号なのか、同じ日に近しいと言われたジャーナリストに性被害にあった女性ジャーナリストへの賠償が確定した。死したその日に、ひとつの闇が晴れていくのは偶然か。

そして暗殺犯が恨みを抱いていたという統一教会と、つながりがあったと噂もされている。政治家一家に生まれ、人柄の良さも持ち合わせながらも、相反する闇の人脈の影がチラつくのは、かえって疑惑の大きさを思わせる。ロッキード事件でも解けない日本の闇を、ここから探り当てることができるだろうか?