主義主張がない“悲しき雄ライオン”の絶望がこだまする(その1)

安倍晋三元首相が暗殺された事件について、
「民主主義への冒涜」「言論の自由に対する挑戦」
といった、政治や民主主義への挑戦ととらえた主張が報道されたのには辟易した。犯人が旧統一教会について語る報道がなされていたのに関わらずだ。

その昔、NHKで『悲しき雄ライオン』というスペシャル番組を放映していた。群れのボスになるまでに、雌にじっくりと観察され、能力を徹底的に試される。群れを従えるまでは雄の立場はとても弱い。群れのボスになれない限り、雄はサバンナでの生存の保証がない。そして群れから追われても死あるのみ。

ライオンにとっての群れは、人間でいえば家族。このキズナが絶たれたところで、ごく一部の男が凶悪な事件を起こしている。週刊文春7月21日号の124P、125Pにこんな一文が載っていた。
京アニ事件も、大阪のビル放火事件も、実行犯は一人暮らしで、親や妻子との関係も断たれていた。安倍氏を襲った容疑者もおそらくは同じだろう」

「ここではもはや、加害と被害の関係は実行犯にしか了解不能なものになっている。今回の事件でも新興宗教団体にハマった親が破産したこと、元首相の暗殺の間には巨大な飛躍がある。」
その事件を起こすのは、いずれも「自分らしく生きる」という意味でのリベラル社会で世間や家族から孤立した男が引き起こしたのだと(続く)。